あたたかな秋田になりましたね。

4月末から始まった展覧会「例えば(天気の話をするように痛みについて話せれば)」も折り返し地点を迎えます。このコラムでは、展覧会の裏話や私の個人的な視点などを、食べ物と一緒に(!)ゆるく記していければと思います。


「想像力 と ハタハタ寿司」

 

 

 私達は知らないものに対して、無知である。

なんと当たり前な。知らないのだから、そりゃそうだ。しかし私達は、知らないものの外見や名称に初めて出会った時、これまでの経験や知識を頭の中で組み立てて、それがどんなものなのかを想像することができる。この力は人間が持つ能力の中でも特に素晴らしい力だと私は信じているのだけど、注意していないと「知っている」つもりになってしまう時がある。頭で想像できたとしても、その対象に対して無知である事実は変わらないのに。

 

 私達は、ハタハタ寿司に対して無知であった。

その日は、展覧会イベントとして俳優の和田華子さんによる「表現者のためのLGBTQ勉強会」を開催した後の打ち上げで、和田さんと私達メンバー3人で秋田駅前の「無限堂」に来ていた。勉強会は本当に素晴らしくて(展覧会記録集になんらかの形でアーカイブします。お楽しみに!)和田さんのよく通る声とともに言葉が体に入るようで、体験としてとても充実した時間を過ごした。私達は和田さんに秋田の美味しいものを食べてもらおうと、稲庭うどんやいぶりがっこタルタルの唐揚げなどと共に、「はたはた一匹寿司」を注文した。注文して最初に登場したその寿司を見て、あれ、と思った。私はてっきり鯖棒寿司やバッテラのように、ぷりぷりとしたハタハタの身が酢飯に乗った形状を想像していたので、意表を突かれてしまった。(ご存知ない方はこちらへ)まあまあ、そういう感じね、そっちの寿司なのね、ニシンの酢漬け方向かなと一口食べて、驚きで目を見開いてしまった。独特の甘いような甘くないような香り、小さい身と粒々の食感、お酢なのか酒なのかの刺激が、ぼんやりした苦味と共に口に広がり鼻をぬける。

・・発酵タイプか!!滋賀県のふな寿司タイプか!!と私は理解し始める。しかし胴体いっぱいに詰まった苦味のある緑色の粒々したものが何なのか解らない。身は、身はどこに行ったんだ。4人でこの一連の驚きを共有しながら、こんなに予想外だから卵の可能性は低いのでは?海ぶどう的な海藻では?実はこれが酢飯なのでは?と粒々の正体をわいわい語り合った。最終的に、粒々はハタハタの卵であると店員さんに教えてもらうことで、私達は静かにハタハタ寿司に対して無知だったことを実感した。完敗である。

 

 ソクラテスは「無知の知」という言葉を残してくれたけど、これがなかなか難しい。私達は知らない物事に対して、漠然とした不安を感じることもあるし、自分の少しの経験や、他人が提示するイメージに簡単に動かされたりもする。トランスの人々を取り巻く問題の多くも、「知らない」ことを自覚されないまま、言葉にされすぎているように感じる。そして「知っている」つもりになっている情報源の多くは、映画やテレビなどのメディアによるイメージかもしれない。ドキュメンタリー映画『トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして』(2020)は、トランスジェンダーの存在がこれまでどのように表象されてきたのかを映画史と共に見ることができる。Netflixをお持ちの方はぜひ見て欲しい。偏ったイメージが繰り返し作られ、語られてきた歴史が示されている。過激な言葉や安易なイメージは記憶の奥底にとどまりやすく、しかし「よく知らない」からと情報が正しいかどうかを判断することもしない悪循環が繰り返されてきた。現在トランスについて語られる言葉の多くが、偏ったイメージから想像された内容についてであり、デマも多い。まるで、存在しない想像上の人物を縛り付け、その周りで話し合いをしているように見えてくる。当人が不在の話し合い。とても暴力的な響きだ。

 

 想像力は、人間が持つ能力の中でも特に素晴らしい力だと私は信じている。しかし同時に、想像力は個人の経験や知識、これまで見聞きしてきた情報に大きく影響を受けているだろう。「表現者のためのLGBTQ勉強会」の中で和田さんは、勉強会の目的の一つに「理解を深める」ことをあげていた。そしてこの「理解を深める」ために必要なのは良心や優しさではなく「浅くてもいいから正しい知識を持つ」ことだと語った。私達はまず、「知らない」ことを知らなければならないのだと思う。その上で、何が正しい知識なのかをじっくり探せばいい。おそらくそれは、過激でもなく分かりやすくもなく、複雑だと思う。複雑さを考えるのに想像力は力を発揮するような気がする。

 

 最後のしめに、私達は温かいうどんを食べた。私は秋田で暮らし始めて1年目だが、この時初めて稲庭うどんを食べた。想像していたような、太いそうめんでも、細いうどんでもなく、何とも言えない幅のうどんだった。

 

 

2022.06.16 中島