梅雨の秋田になりましたね。

4月末から始まった展覧会「例えば(天気の話をするように痛みについて話せれば)」もあと数日となりました。このコラムでは、展覧会の裏話や私の個人的な視点などを、食べ物と一緒に(!)ゆるく記していければと思います。


「お花見 と わかばの手ごねハンバーグ」

 

 

 数年ぶりの知人からメールが来た。

数年ぶりとは思えない長文メールだった。内容は、ある美術系のプロジェクトを率いるプロデューサーによるハラスメント問題についてであり、知人が告発したことでそのプロジェクトは解散したものの、当のプロデューサーは別の場所で普通に仕事をしているので、注視して欲しいというメールだった。本当に嫌になるのだけど、同じような話をよく耳にする。業界関係なくだから、本当に嫌になる。私はメールを送って来た知人が心配になった。礼儀正しい行間からも、彼が弱っているのが読み取れる。傷つきながら立ち上がり、やっとの状態で戦っているんじゃないだろうか。少年漫画だとかっこいいバトルシーンだろうけど、現実は違う。疲弊していると自分の出血量もわからないし、周りの状況も見えにくい。そして野次馬の声で倒れてしまうこともある。

私は彼に、お花見をして欲しいと思った。

 

 私達は展覧会の搬入時に、2回お花見をした。

1回目は、資材をギャラリーに運び込む前日、千秋公園の桜祭りで屋台の焼き鳥やクレープやタコ焼きを食べた。2回目は、オープン5日前くらいだったか、会場であるビヨンポイントの向かいにある、八橋運動公園の桜の木の下でお花見をすることにした。私達は疲れていた。連日の作業からくる肉体的な疲れもあるし、トランスの人々に対するヘイトに対し自分達に何ができるのか、展覧会という場所を作りながら考え続ける作業からくる疲れも大きかったように思う。疲れてくると集中力がなくなり、言葉が攻撃的になり、気持ちが焦るばかりで何かを選択する時に頭が動かない。「こんな展覧会に意味はあるのか?」とぐるぐる考えながら、私はエネルギー不足を自覚した。そしてみんなで「メルカートわかば」山王店に車を走らせた。このスーパーは肉屋わかばの系列店で、お肉とお惣菜に特化した品揃えとなっている。冷製パスタやグリルチキン、豆のサラダやマリネなどのお惣菜を好きなグラムで注文できる。私達3人は色鮮やかなお惣菜から、お花見用の組み合わせを悩んだ。そんな中で、メンバーの櫻井さんが選んだ1つが、わかばの手ごねハンバーグだった。肉屋のハンバーグなんだから美味しいに決まっているし、手ごねという響きがより幸せな気分にさせる。拳ほどの丸いハンバーグはピッタリサイズのタッパーに1個ずつ入れられ守られていた。彼女は温めたハンバーグを大事そうに両手で持ち、お花見会場まで移動する。時々、幸せそうに香りを楽しみながら、大切に、愛しむように両手で包む姿は、映画『ハウルの動く城』で少年ハウルが自分の輝く心臓を両手に持つシーンを思い出させた。心臓とダブってしまったせいで私は何だか厳かな気持ちになって、それがお花見には欠かせない大切な要素のような気になってきた。

 満開の桜の木の下で、私達はお花見をした。淡い花の色と穏やかな青空、白いビニールシートと緑が鮮やかなお惣菜。美味しいものを食べて、木漏れ日を浴びて、ゆっくりと昼寝をした。静かな場所で、呼吸をする。私は自分の体が暖かくなっていくのを感じる。両手に包まれていた手ごねハンバーグも、きっと彼女の心臓の一部となって、優しく体を温めているのだろうと想像した。

 

 私は最近、ally(アライ)を名乗るようになった。

ally(アライ)とは、LGBTQの人々を取り巻く人権問題に対し一緒に声をあげる人のことを指す。詳しくはこちらの記事や、トランスアライについてはこちらの記事など、時間がある方は参考に読んでみてほしい。名乗るといってもSNSのプロフィール欄などに書く程度なんだけど、私の中では大きな変化だと思う。前までは名乗ることができなかったから。フェミニズムを勉強し始めたばかりだし、LGBTQに関する専門的な知識もなく、多数派として無自覚に生きてきた自分には語る資格がないと感じたし、アクティビストみたいになれる気もしないし、知識も浅いから何より失敗が怖かった。でも、傷ついた人にお花見をしてもらうには、ally(アライ)のような一緒に声をあげる人数を増やす以外にないように感じた。特に少数派は少数ゆえに同じ人が傷を受けながら説明したり問題に立ち向かわざるおえない状況がある。傷ついてやっと立ってる人を、繰り返し戦いに向かわせることに慣れるよりも、私は未熟なally(アライ)として自分ができることを探したい。今回も、トランスの人々が直面する問題をテーマに、ally(アライ)として展覧会に参加できてよかったと思う。

 みんな、傷ついたり疲れたりした時に、手ごねハンバーグでお花見をしてほしい。私にはあの時間が必要だった。ゆっくり息をして休んでほしい。それができない状況を作っているのは周りにいるはずの大勢の沈黙かもしれない。目に見える賛同者が増えれば、傷ついた人にお花見する時間を作れるのではないか。それは心臓の一部となって、優しく体を温めてくれるかもしれない。

 

2022.06.26 中島